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俳句の詩情

 投稿者:雄蕉  投稿日:2017年 1月29日(日)12時13分20秒
返信・引用
  俳句は詩の一分野ですが、定型有季にこだわり、あるいは言葉の技巧に走り、言葉遊びの
様相が出てまいりました。
作者の心情を無視して、一方的に言葉を押し付けることが、見られます。
作者の表現力が稚拙な場合もありますが、といって、言葉を変えてしまうのは本末転倒です。
詩情はたいへん難しいもので、説明もうまくできませんが、心が魅かれる何かでしょうね。
 
 

新スタイルのホームページ

 投稿者:雄蕉  投稿日:2017年 1月29日(日)12時03分42秒
返信・引用
  2017年1月、横浜かたぶき俳句会のホームページが、スタイルを一新しました。
さらに本会が発展することを願っています。
 

兼題としての蝶の分析

 投稿者:雄焦  投稿日:2015年 5月 5日(火)10時22分23秒
返信・引用
  2015年4月の兼題は蝶。俳句の分類は次のとおり。
季感俳句
①蝶々のまえやうしろに散歩かな    いくお
②てふてふや黒牛どたり草の上    五郎
③風流れひらりひらりと蝶二つ    やすし
④硝子戸にふれて舞い飛ぶ紋白蝶    ふみ
心象俳句 写景心緒
①天空に光を散らし蝶舞へり    あきこ
②蝶舞し花から花へご挨拶    春
③初蝶の苔むす墓に迷いけり    きょうこ
心象俳句 寄物陳思
①黄蝶来る何か良いことある予感    啓子
哲学俳句
①蜆蝶身の丈に合う草と揺れ    みち
滑稽俳句
①酸っぱさもあるのか止まる蝶の羽   雄蕉

今月の一句。

天空に光を散らし蝶舞へり    あきこ

本句は、蝶が天空の光を散らしていると詠んだもの。もちろん、
これはそのように思えたということで、実景ではない。
こうした感性があれば、世の中は違ったものに見えるはず。
現代社会に生きている人々は、決定的に、想像力が欠如している。
それに気がつく人も少ない。
本句は、人々に喝を入れるものになっている。句を読むと、
「健全な新鮮さ」を保っているという安堵感が湧き起こる。
以上



 

春を待つ心

 投稿者:前沢五郎  投稿日:2014年 1月29日(水)14時56分11秒
返信・引用
  子に問はれ春待つ虫と答へけり    きょうこ

かたぶき俳句会初句会題詠「春待つ」の中の一句。寒中のある日暖かな庭に出た親子、土の中か草木の中に何か見つけた子が、「これ何」と母親に尋ねる。母親はその虫の幼虫か蛹かを見て、「春待つ虫よ」と答えた。母親は知っていたのかあるいは知らなかったかもしれない。いずれにしても固有名詞では答えなかった。母親も賢い。そのことが読者にとっていろいろ想像できる楽しみになっている。
この子供が発見したものはおそらく春には、羽化または脱皮して、その成虫は春の季語にある虫になるであろう。母親もあいまいにせず「春待つ虫と答へけり」と言い切ったことで、この母親の性格まで見えてくる。
母親はこの子の成長も春待つ思いでいるのだろう。親子の情愛も見えてくるほのぼのとした佳句である。
 

小春に何をおもう

 投稿者:雄翔  投稿日:2014年 1月18日(土)12時54分29秒
返信・引用
  年々にたふとくなり来小春かな    五郎

11月の兼題小春についての感想。
古来からの有名人の句をさがしてみた。
 海の音一日遠き小春かな     加藤暁台
 売り出しの旗や小春の広小路   子規
 病む人に鳥鳴き立る小春哉    漱石
 品川の海静かなる小春かな    碧梧桐
 針売も善光寺みちの小春かな   蛇笏
 小春日のけふも暮れけり古障子  龍之介
 様々な俳人が残しているが、すべて季感俳句。はっきり言えば、のんびりムード。
取るに足らない情景が満ちあふれている。これから良いものがうまれるだろうか。
 私は、小春には、哲学俳句が合っていると考えている。
 「年々にたふとくなり来小春かな  五郎」
 この句は小春を迎える心構えがにじみ出ている。
 小春について、徒然草第百五十五段に、次のようにある。中段抜粋。
 十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まず落ちて
芽ぐむにあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設け
たる故に、待ちとるついで甚だはやし。生・老・病・死の移り来たる事、また、これ
に過ぎたり。
 徒然草によれば、四季の移り変わりは早い。生・老・病・死はもっと早いとしてい
る。これを踏まえれば、小春をのんびりムードとしてとらえているのはお門違いだと
いうことになる。季節は常に一歩先を歩んでいることに気付くべきだ。命あるものは、
それをうまく利用しなければならない。
 葉が落ちるから、新しい芽が出てくるのではない。小春によって、葉の下に芽が用
意されるので、古い葉が落ちる。小春は新しい生命の準備をしている。人間の寿命は
もっとはかない。とすれば、小春の時、どのような心構えが大切なのか。
 再び、徒然草第百五十五段後段部分を抜粋。
 人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来たる。沖の干
潟遙かなれども、磯より潮の満つるがごとし。
 徒然草によれば、死は思いがけなくやってくる。それは沖に干潟が見えているのに、
足下には潮が満ちてくるようなものだという。
 小春はわが身の死、それを予測するときであろう。とすれば、五郎の句の意味が身
に沁みてくる。小春は尊い日である。
 

兼題としての枇杷の花

 投稿者:雄翔  投稿日:2013年12月30日(月)11時57分4秒
返信・引用
   12月の兼題は枇杷の花。どのような句が詠まれたのか、検討してみる。
 作者は枇杷の花が咲いている情景を背景とし、自分の思いを句に託すことになる。
では、どのような思いがふさわしいのか。まず、季語の活用法について。
 1 枇杷の花の印象
 花言葉は「温和」「治癒」「あなたに打ち明ける」。実について、桃栗三年柿八年
枇杷十三年といわれ、かなり晩生のようだ。
 2 同音異義語・琵琶への転移
 びわといえば、琵琶法師。鎌倉時代には『平家物語』を、琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成した。
 3 伝承の活用
 琵琶法師から、平家物語が連想される。
 さて、こうした言葉によって、俳句の構想はふくらむ。
 まず、目立たない枇杷の花の印象から、寂寥感を表現。
 1 父母眠る墓地の片隅枇杷の花     いくお
 2 今年また主なき家の枇杷の花     あきこ
 3 憂きことの一つ消え去り枇杷の花   久子
 枇杷の花言葉からの心象風景。
 4 防寒の萼に守られ枇杷の花      五郎
 5 晩成も楽しからずや枇杷の花     雄翔
 枇杷の花による心情の変化を詠んだもの。
 6 手をかざし見上げるところ枇杷の花  みち
 7 枇杷の花活けて床の間華やぎぬ    あいこ
 8 ボール蹴る児等の笑顔や枇杷の花   とし子
 びわが伝承の活用にまで広がった傑作。
 9 懐に平家抱きし枇杷の花       きょうこ
 物事の本質をついた見事な虚心坦懐の佳句。
 10 言われずば枇杷の花とは気付かざる やすし
 

ほっこりとした笑いを誘う句

 投稿者:前沢五郎  投稿日:2013年 9月27日(金)20時27分52秒
返信・引用
  九月の句会から
串団子二本平らげ良夜かな やすし
 掲句一見して一茶でも作りそうな愉快な句だ。月見団子を供えるでもなく、自分のために「みたらし団子」を買ってきて食べながらの月見。ものぐさ独身者を髣髴させる。二串ペロッと平らげまだ物足りなさそう。酒も入っているかもしれない。下五が月でなく良夜にしたのがまたよい。飲みすぎて満月がゆがまないうちに寝たほうが良さそうだ。こんな平和な楽しい句を詠める心のゆとりを感じとれる。
 

新米の句に思う

 投稿者:前沢五郎  投稿日:2012年11月 5日(月)20時50分37秒
返信・引用
   嘗ては神嘗祭・新嘗祭の祭日があったが、今は暦から消えている。宮中の行事としては残っているようだ。現在は神嘗祭・新嘗祭に関係なく、新米が市場に出れば誰でもすぐに食べられる。兼題「新米」の句に『新米は我が家の決まりおむすびに』に気を引かれた。
 毎年この作者の家では、新米はおにぎりにしていただく習慣なのであろう。炊き上がった新米は真っ白に輝いていて、これを塩むすびか海苔で巻いて頂く。おかずなんか何もいらない。口に入れれば新米の香りとほのかな甘み、至福のときだ。日本人に生まれてよかったとしみじみ思う時間だ。米作に関わった多くの人に感謝しながら味わおう。
 

偶然 通り掛かりました

 投稿者:芝   宏  投稿日:2012年 8月 9日(木)15時32分16秒
返信・引用
  懐かしいお名前に出会いました。もしかしたら 湯ノ瀬をご存知の方かも。
私は俳句は詠めませんが、拝見するのは好きです。これからもちょこちょこと
立ち寄らせてもらおうと思います。
暑い和歌山から訪問させていただきました。
 

6月の私の好きな一句

 投稿者:前沢五郎  投稿日:2012年 6月29日(金)16時13分41秒
返信・引用
  せせらぎは木漏れ日の中夏来る  章子
 この句は一読、読者を奥入瀬の川のほとりの散策に引き込む。初夏、川の流れを覆う木々の葉が若葉から青葉にと変るころ、木々の葉もまだ伸びきっておらず、木漏れ日はいっぱいに降り注ぐ。川の流れはこの木漏れ日をキラキラと反射させ、喜びに躍動して音を立てて流れる。時折小鳥の囀りも聞こえてくる。まさに美しき天然の調べの中に取り込まれる思い。
 リュックを背負い水筒を肩に掛け、清明の空気を胸いっぱいに吸い込み、川辺を散策する至福の時を過ごす。読者もそんな気持にさせてくれる初夏の素晴らしい句だ。
 

今月の私の好きな一句

 投稿者:前沢五郎メール  投稿日:2011年 6月29日(水)09時54分5秒
返信・引用
      遠ざかる程に植田の青さかな   久子
 一週間ほど前、信州の田舎へ行くバスの車窓から、この風景に出会いました。先を越されたな、という思いです。
 農家の庭先から広がる田圃、昼下がりのこの風景を見ていると、本当に平和で心が安らぐ。これが瑞穂の国の原風景と思えてくる。しかしこの裏には、若者の農業離れによる苛酷な労働条件、価格競争などに耐えている農家の苦しみが隠されている。
 眼前に広がる青田に風の動きも見え、夏燕が低く飛び交う。今年も豊作が期待できる。そんな思いにさせる句だ。ただ「植田」がどうでしょう。植田はまだ植えたばかりで、水面から苗が少し出たくらいの状態で青々しさがまだ見えないのではないか。「青田の青さかな」とは使えないが。私は青田の風景として受け取りました。
 

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